"Fullness" 田中いづみ という生き方
東京〜ニューヨーク に生きる ----- ダンサー、振付家、女性、妻、母、人として

「田中いづみ連続ロングインタヴュー」by上野房子

第11回 緊急事態宣言下、生徒たちは無観客発表会で踊りきった

71周年記念〈石川須ズ子・田中いづみダンスアカデミー〉第65回発表会
2021年5月9日、練馬文化センター

 2021年5月9日、田中いづみは、御年96歳の母君、石川須ズ子が1950年に創設し、現在は共同主宰する〈石川須ズ子・田中いづみダンスアカデミー〉の第65回発表会を練馬文化センター大ホールで開催した。
 本来なら、2020年7月に〈創立70周年記念〉として執り行うはずだったのだが、コロナ禍の影響により延期を余儀なくされた。ところが開幕まであと半月となった2021年4月24日、東京都に3回目の緊急事態宣言が発出され、会場の練馬区文化センターは休館することになった。田中は、難しい決断を迫られた。
「無観客であれば、ホールだけは使うことができましたが、客席に入れるのはスタッフを含めて6人だけという、あまりにも厳しい条件でした。文字通りの無観客で発表会をするのか、それとも、いったん中止し、1年先に改めて日程を組むのか。選択肢は二つしかありません。といっても、去年の発表会を1年先送りにしているわけですから、生徒たちがモチベーションを維持できるのか、気がかりでした。また、イベント自粛に応じたからといって、キャンセル料が生じないこと以外、メリットは何もありません。来年の予定を優先的に選べるわけではなく、後日、予約にキャンセルが出たとしても、その日時を優先的に使えるわけでもない。ただ予約が白紙に戻され、他の団体と同じ条件で予約を申し込み、抽選に参加するだけなのです」

発表会プログラムより主催者メッセージ

今、この時にしか踊れない踊りがある

 田中は出演する生徒たちの意向を確かめ、保護者にも相談した。最終的な決定打となったのは、1年間以上、この日のために稽古に励んできた生徒たちの、並々ならない熱意だった。
「発表会直前の生徒たちは、やる気満々でした。なかでも、第2部の最後に上演した『kanki その2 ボレロ』の出演者たちの熱量がものすごかったのです。作品自体は再演で、2020年1月に開催した公演〈peace by dance『輪五の舞 ダンス公演』〉でも上演しています。その際のアンサンブルは、アカデミー幹部と生徒数人に加え外部のダンサーたちが踊りましたが、今回はアカデミーの中学生以上の生徒も出演させました。入会してから一年未満の人から幹部生までが共演するわけですから、当然、レベルは不揃いで、振付をすぐに踊りこなせる人ばかりではありません。前回以上に力を注いで、稽古をしなくてはなりませんでした。
 その甲斐もあって、今回、この作品に向かう生徒たちの気持ちはすごく盛り上がっていました。彼らのモチベーションをどうしても下げたくなかった。また、『ボレロ』には出演していない子供たちは、年齢が低ければ低いほど成長が著しいですから、1年も経てば別人のように変わってしまう。その子供のその踊りは、今、この時にしか踊れないのです。去年の予定が今年になった上に、さらに1年、延期することになったら、彼らの踊りは違うものになっているだろうし、多分、踊らせる内容も変わるでしょう。この貴重な瞬間を、どうしても逃したくありませんでした」

 2021年7月から9月に無観客で開催された〈東京2020オリンピック〉と〈東京2020パラリンピック〉の客席に、相当数の選手団や報道関係者の姿があったことは記憶に新しい。しかし練馬文化センターでの〈無観客〉は、きわめて厳格だった。客席に入れるのは、前述した通り、6人のみ。アカデミー創設者である石川須ズ子とアテンド係、写真とDVDの撮影者と各々のアシスタントだけで満員である。舞台裏で出演者の準備を手伝う保護者たちは、子供たちが出演する2作品前から舞台の両袖、もしくは舞台と観客席の両サイドの出入り口をつなぐ〈花道〉で密にならないように配慮しながら、我が子の晴れの舞台を見た。
 観客の入場が叶わなくなった時、どのような心境だったのだろうか。
「私を含めて、誰もが落ち込みました。でもそれはひと時のことでした。生徒たちは無観客でも踊りたい、発表会をやりたいという気持ちを貫き、いったん決断してからは、ボルテージがさらに上がりました。普段の発表会以上に生徒たちの気持ちがまとまり、団結力が培われたようでした。コロナ禍による緊急事態宣言の最中にみんなで頑張ってやろう、という感覚がおのずと湧いてきたのでしょう。フィナーレには、開演中は出演者とは顔を合わさず、客席で見ていた石川須ズ子も登場しました。その日の母は体調がすぐれなかったのですが、いつもの発表会と同じように舞台に立ち、客席に向かって晴れ晴れとお辞儀をしました。その姿に感極まり、涙した人たちもいたようです。生徒たちも保護者たちも達成感を感じることのできた、感動的な発表会でした。発表会をやって良かった。心からそう思えました」

2年越しの感染対策も実を結んだ

 先の見えないコロナ禍のなかで、ウィルスと田中および生徒たちの闘いは長期戦となった。
 「2020年6月に1回目の緊急事態宣言が解除され、一時休止していたアカデミーを再開した時から徹底しているのは、まずはマスクの着用です。もう当たり前のことですが、全員、つねにマスク着けて稽古をしています。手指の消毒だけでなく、稽古が終わった後には電気のスイッチからフロアまで、誰かが触れた可能性のある全ての場所を消毒することも怠りませんでした。換気をよくするために、稽古場の対角線上にある2ヶ所の出入り口に網戸をつけて、常時、開放できるようにしました。更衣室では密になりやすいですから、男女1つずつだった更衣室に加えて、講師室を臨時の女性用更衣室として使っています」
 感染対策に細心の注意を払い続ける田中の姿を目の当たりにした生徒たちも奮闘し、一人たりとも感染者を出すことなく、発表会当日を迎えることができた。
「生徒と保護者の皆さんの協力の賜物です。一人ひとりが、自分が感染してはいけない、他の生徒に感染させてはいけない、という高い意識を持って、稽古に臨んでくれました。濃厚接触者に認定されていなくても、身近に具合の悪い人がいるなど、ほんの少しでも心配なことがあった時には、自主的に稽古を休んでいたほどです。私自身、2021年2月にニューヨークから戻ってから(ロングインタビュー第10回「田中いづみが見たコロナ禍のニューヨークの〈今〉」参照)発表会が終わるまでの2ヶ月半の間、不要不急の外出は避けていました。電車に乗ったのは一度だけ、常務理事を務めている現代舞踊協会の会議に出席した時のみです。母の通院に同行するなど、私用で外出する時は車で移動し、公共交通機関は利用しませんでした」

緊急事態宣言発出後の舞台裏

田中のニューヨーク滞在は、田中本人の力の及ばない事情により、当初の予定よりも長引いてしまったものの、発表会で生徒たちが踊る作品の振付は、ニューヨークに出発する前にアウトラインを仕上げてあったため、代行の指導者を交えて、ニューヨークからリモートで指導を続け、指示をすることができた。帰国後、コンディションが絶好の生徒のために追加の振付をする余裕もあった。
 コロナ禍ゆえに断念したことは、格段に生じなかったにもかかわらず、4月24日に緊急事態宣言が発出され、無観客で発表会を敢行することとなった。
 田中は、発表会の主催者、企画者、上演作品の振付者・指導者であるだけでなく、アカデミーの他の教師や振付者の統括担当、広報をも担っている。田中の仕事は一気に増えた。会場の練馬文化センター担当者と交渉し、出演者と保護者たちに発表会を無観客で実施することについて可否を照会し、スタッフの人員配置を調整し、本番直前の通し稽古を分散させて行い、インターネット上の発表会情報を修正し、アカデミー関係者以外の招待者に無観客開催の連絡を入れ、開演中の出演者や保護者の動線を確認し、ニューヨークで発行されている情報誌「週刊ニューヨーク生活」の取材を受ける――。

「週刊ニューヨーク生活に掲載された発表会レポート
(2021年5月22日号P.2)

左下:『kanki その2 ボレロ』舞台写真(撮影:)
右:peace by dance コラボ作品『輪五の舞 祈り』
   後列:田中いづみ、花柳面
   前列:池谷香名子、ペ ジヨン、鈴木彩乃

 来場できない関係者からは、ライブ配信をやって欲しいという要望が寄せられた。しかし観客席に入場できる6人の枠は既に埋まっていたため、配信のためのスタッフを配置することはできなかった。田中はDVD撮影者と交渉し、代案を用意した。
「2種類のDVDを準備しました。希望者にすぐに渡せる無編集の映像と、後日、納品される編集した映像です。来場できなかった親類や友人の方たちにも見てもらえるように、2枚目以上は価格をうんと抑えてもらう交渉もしました」
 田中は、もう一つ、大仕事をこなした。ダンサーとして3作品に出演したのだ。前述した自身の振付による『kanki その2 ボレロ』のソリストを務め、コラボ作品『輪五の舞 祈り』で4人の他ジャンルのダンサーと共演し、自ら構成・振付を手がけた小品集『アメリカングラフィティ』の最終パート「シカゴ」ではジャズダンス風の踊りを披露した。
「発表会の主役は生徒ですから、通常の発表会であれば私は生徒たちの補佐役として、 彼らが実力を発揮できるよう、全力投球します。自分の踊りに集中し難いこともあって、あまり踊らないのですが、71周年記念の今回は、アカデミー関係者だけではなく、批評家やジャーナリストの方たちにも招待状を出していたので、私も舞台に立つことにしていたのです。『kanki その2 ボレロ』『輪五の舞 祈り』に加えて、発表会以外では見ていただく機会のない、少しセクシーなジャズダンス風の『シカゴ』を8年ぶりに踊り、最後には、さすがに足を踏ん張れない状態になってしまいました!」
 ジェットコースターのような紆余曲折を経て幕を下ろした「71周年記念〈石川須ズ子・田中いづみダンスアカデミー〉第65回発表会」は、ダンスに携わる者にとって発表会とは何なのか、そして、パフォーミング・アーツとしてのダンスとは何なのか、その根源を見つめる機会にもなった。
「わたしの中には、二つの考え方があります。これだけの準備をして、これだけの作品を作り上げたのだから、一人でも多くの人に見てもらいたい。普段はそう考えています。先日の発表会では、ここまでやってきたのに誰にも見てもらえないことが、すごく残念でした。
 アカデミーで勉強している生徒たちは、プロ志望者だけではありませんし、自分の踊りを人に見てもらいたい人ばかりでもありません。趣味でやっている人から教師をしている人まで、幅広い人たちです。そうであっても、それぞれが勉強し、日々、成長しているわけですから、その成果を発表する場があることは、やはり大切です。衣装をつけて、照明をあてた舞台で踊る。競い合うのではなく、自分の立ち位置で、自分に合った振付を踊り、その時の自分を発表する場として、発表会は最適の場です。
 その一方で、パフォーマーとしては、人が見ていても見ていなくても、踊ること自体に違いはない、という考え方があります。客席に観客がいてもいなくても、踊っているダンサーがやることは、実は、何も変わりません。やれることをやる、その時の全てを表現するだけ。観客がいるから気持ちが高ぶる、いないから気持ちが高ぶらない、という意識は持ちません。無観客で踊ることになり、自分の外に存在する観客に対して発散できなかったぶん、内なる意識が高くなる感覚を覚えました。無観客でしか開催できなくなったショックを乗り越え、かけがえのない経験をすることができました」

 次回の発表会の準備はすでに始動している。さる7月、練馬文化センターの2022年7月分の予約抽選会が行われ、田中は夏休み前の7月2日(土)を引き当てた。改めて参加者を募り、プログラムを組み、スタッフを手配し、稽古に励み、生徒たちの成長を見守る。自身の創作活動と平行して、舞踊家・振付家・教師としての田中いづみの歩みは続いていくのである。



Interview and text by Sako Ueno 上野房子

上野房子プロフィール

ダンス批評家
共同通信、音楽新聞他に寄稿
翻訳書にヴァレリー グリーグ著「インサイドバレエテクニック 正しいレッスンとテクニックの向上」
明治大学・明治学院大学非常勤講師
目下、スキ・ショーラー著「バランシン・テクニック」の翻訳の仕上げに邁進している。